つぶやきば@はてなブログ(跡地)

こちらのURLに移転いたしました。http://ushigen.hatenadiary.jp/

「いじめはスポーツで解決すべし!!」の読み解き方

スポーツ総合研究所blogの「いじめはスポーツで解決すべし!!」というエントリーにブクマコメントが沢山付いていますが、私も広瀬一郎氏の『スポーツマンシップを考える』を読んでいなかったら皮肉たっぷりなコメント付けていたんじゃないかと思います。

『スポーツマンシップを考える』の序章を簡単にまとめるとこんなことが書いてあります。

  • 小4の娘が持っていた国語辞典で「スポーツマン」を引いてみた
  • 「運動能力に秀でた人」と書いてあった
  • 「これはおかしい」と思った広瀬氏はオックスフォード英英辞典を引いてみた
  • 「Sportsman=Good Fellow(良い仲間)」と記されていた
  • 翌日、本屋に行っていろんな国語辞典を引いてみた
  • 「運動の好きな人」「運動を良くする人」等の表記が並んでいた

その後米国の友人にスポーツマンシップとは何かたずねると「言葉で説明するのは難しい」が、「英語には"He is a good sport."という言い回しがあり、彼は信頼に足る人物という意味だ」。「真のスポーツマン」とは「負けたときに素直に負けを認め、それでいて頭を垂れず、相手を称え、意気消沈せずにすぐ次へ備える人」と説明を受けたのだとか。

そしてこの本の第4章に「「スポーツマンシップ」をテーマとした授業を小学生(5年生対象)で行うにあたり」用意した原稿というのが掲載されているですが、こんな一文があります。


自分以外のプレーヤーに対する尊重(大切に思う心)。これがない人はスポーツマンとは言えません。いくら速く走れたり、高く飛べたりしてもそれだけでは「運動能力のある人」というだけであり、「スポーツ能力」(という言葉があればそれ)が低い人をスポーツマンだとは言えないのです。

だからそこ広瀬氏は「スポーツマンであればイジメをするな、許すな」と教えるべきではないか!「尊重」という態度、考え方を身につけた子がイジメをするだろうか?「尊重」を学ばないでスポーツができるのか!?と憤っているわけです。
そりゃ「現実無視の理想論」なんてタグ付けられればそれで終わる話なわけですが、「運動能力のある人」=「優秀な人」なんて勘違いを正すため、「真のスポーツマンシップ」を普及させるというのは無駄ではないと思われます。勘違いが一般的になっているからこそ、運動音痴の人間が背負わなくてもいいコンプレックスを背負わなければならないわけですし。


スポーツは楽しくなければなりません。したいからする。見たいから見る。誰かにさせられることは、スポーツとは言いません。難しい言葉で言うと、「自主性」ということが大変重要なんです。「自主性」というのは自分で判断して決める決めるということです。一人一人が自分で「楽しい」「したい」と判断して行うことがスポーツの基本です。

広瀬一郎『スポーツマンシップを考える』p.167


体育は決してスポーツではないのです。