つぶやきば@はてなブログ(跡地)

こちらのURLに移転いたしました。http://ushigen.hatenadiary.jp/

 自分の事を整理するために、スポーツバカらしくスポーツをテーマにして振り返っていこうと思います。

小学生(1〜3年)

市内の幼稚園に通っていたが、親の転勤で1学年1クラス、数キロ先から歩いて登校する児童が決して珍しくない地域の小学校に通う。運動神経が極度に悪く、1年後半から剣道部に入るも(部活動は剣道か野球しかなかったた)同学年の男子6人いて団体戦では万年補欠。ただ一人いた女子にもレギュラーを奪われる有様。2年半の在籍で公式戦勝利数はおそらく1か2。ただ成績は良かったし、市内から転校してきたこともあってか優等生扱い。私の生涯でただの一度訪れたモテ期はこの頃(両想いですよ両想い!!)。3年生終了時に親の都合で転校。ここにあと3年いたらどんな性格になっていたのだろう…

この時期一番熱中していたスポーツは相撲。若嶋津逆鉾、寺尾、霧島と、県内出身力士が多かったことと関係あるかもしれない。3年の夏休みに福岡旅行に行き、ホークスとめぐり合う。その後父の友人からホークス帽子をプレゼントされたので、これ以降ホークスファンに。これがこの後、とんでもない事態を引き起こす!!

小学生(4〜6年)

新興ベッドタウンのようなところに転校。前述の田舎時代、父が私に買え与えた『イレブン』の影響でサッカー部に憧れがあったため、4年2学期より入部。運動神経は悪いままだったので当然補欠、しかもBチームの(昼休みのサッカーでも、チーム分けで最後になるのが普通だった)。『イレブン』ではFWの主人公がトゥキックで頭角を表していたので私もそれに倣ってしまうわけが、トゥキックで蹴る度に物凄い説教を飛ばされ、インステップで蹴るように指導される(こういうコーチがいるから、日本サッカーには「個性」が育たないのだ、と言えるかもしれない)。そのトゥキック説教ジジィは、ボールを遠くに蹴れないとカス扱いする輩で、当然私は練習の度にカス扱い。サッカー自体は下手なりに好きだったけれどそいつが嫌で嫌でしょうがなかったので6年に上がる時退部。

転校してしばらく経ちイジメに遭う。その際散々「ホークスなんか応援しているからお前は弱いんだよ」と言われる。3学期の後半開かれた学級会にてイジメの事が取り上げられ、何やかんやあって収束。5年次からは平穏な学生生活を送るかに見えたが、今度は私自身が自分より弱そうな奴をいじり倒す加害者の側に(「あいつらは多人数で俺をいじめたが、俺はタイマンでやってるから悪くない!」という、自分理論を振り回していた)。私がこっぴどく叱られ、彼に謝罪した。ちなみに私をいじめていた奴のうち何人かは中学時代以降悪友となっていく。成績は学年でも上のほう。ちなみに女性からはイジメのこともあったし、女性の髪を引っ張ったりしたこともあって全く相手にされず。

中学時代

中学入学前後、「部活動に入ってない奴は先輩から目をつけられる」という怪情報が乱れ飛んだので(これって同調圧力だよなぁ…)、経験者が少なく上にスタートラインが皆同じのソフトテニス部に入部。ただし団体戦ではBチームの最弱ペア扱い。入部直後はストロークが下手だったために低身長でも前衛に回される。ただボレーが極端に下手だった。2年の途中からストロークが上手くなってきたので、顧問に後衛変更を直訴して、以降は後衛として引退まで活動。公式戦での成績は、団体戦でも個人戦でも2、3回くらいは勝った記憶がある。

2年の頃は生徒会活動をしていた。母校では早朝ランニングをすることが推奨されていたけれど、朝練をする部活動以外、守るものはほとんどいなかった。そのことを野球部の悪友達が「生徒会のくせにランニングしなくていいのかよ」と煽ってきたので、売り言葉に買い言葉、次の日からランニングを開始。1年後のクラス対抗駅伝にて、4位から2位に引き上げる。

プロレスとの出会いはこの頃。3年1、2学期の昼休みは人を集めて高飛びマットを使いプロレスごっこに興じるが、途中から関節技研究会の様相を呈してくる。これが意外なところで役に立った。空手をかじったことがあるピザDQNが「格闘しようぜ」といって突然私に蹴りを入れてきた。何発か食らった後、不用意なミドルを掴み、見よう見まねでアキレス腱固めに移行したら上手くいき、ピザDQNはタップ。それ以降ピザDQNが私に対して見下した態度を取ることはなくなった。

ダビスタの影響で競馬に興味を持ったのもこの頃。3年次に学級新聞を作るというので、生で見たこともないくせに「競馬の魅力とは何か」ということを何回か連載。

女性から相手にされない状況に変わりはなかったが、常に学年1、2位を競っていた女性からは何かと勉強について話をするようになる(後に転校)。また、今考えれば「どうみても腐女子です」な女生徒2、3人と会話するようになる。「何でそんなにホモが好きなんですか」みたいな事を聞いたこともある…。

高校時代

1学年10クラスで分母が増えたせいだろう、運動に関して常に学年最下位が定位置だった私が、クラスで中位くらいになる。「シングルプレーヤー」というものに魅力を感じて硬式テニス部に入部し、そこでもBチームとAチームをうろうろするくらいにはなれた。練習したこともあって、1stサーブが2回に1回入るようになった。結局コーチのスパルタ主義についていけずに1年経たずに退部。ただ学区外の高校に通っていたため、下校は毎日サイクルレースの軽い山岳ステージ状態。それが持久力維持につながった気がしないでもない。

今で言う「スクールカースト」という存在を嫌というほど感じたのはこの時代。「イケメン・スポーツ万能」「それ以外」で基本的にグループを組むようになるが、私のクラスは文系で男子が12人しかいなかったこともあり、基本的にはボーダーレスだった。ただ、スポーツ万能・イケメン・成績優秀という絵に描いたような奴がいて、そいつは明らかに私を見下していたのだが、2年3学期に行われた10キロロードレースにて彼を追い抜きゴールして以来、そのような態度はなくなった

F1やK-1を見始めるようになったのもこの頃で、プロレスを「八百長」と言って馬鹿にしていた。全くもって恥ずかしい限りである(プロレスをまた見るようになるのは浪人時代)。


 大学時代は省略。
 さて、こんな私は「非モテ喪男」を名乗れるものなのでしょうか。