つぶやきば@はてなブログ(跡地)

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水戸ホーリーホックに何が起こっているのか


リアルJ'sGOALレポート 水戸−C大阪
昨日、本当はこのようなレポートをJ’sGOALに送ったのですが、却下されました。
なので、ここに掲載させていただきます。
興味のある方は読んでください。


J2:第51節 水戸 vs C大阪】レポート: 
見たか!これが前田秀樹が築いたサッカーだ。
「市民クラブ」を守るため水戸の選手は体を張って戦った。
気迫負けしたC大阪は昇格の夢が潰えることに。


水戸を愛する一部を除くすべての人の気持ちが西野の左足に込められた。
56分、ペナルティエリア内でボールを受けた西野が強引なドリブル突破。
角度のないところから放ったシュートは相手DFに当たりながらゴールへと転がり込んでいった。
ゴール後、西野をはじめほぼ全員の選手が前田監督の下へ走りより、抱き合った。
前田監督が5年かけて積み上げてきたものがどれだけ大きいのか。
このシーンだけでも十分に察することができた。


試合はC大阪ペースで始まった。中盤の軽やかなパスワークで水戸を翻弄。
明らかに違うプレーの質。序盤はC大阪の猛攻が続いた。
だが、水戸は個々のハードワークで勝った。
局面の1対1でも気迫で勝り、また、攻守の切り替えもC大阪よりも早くすることで技術の差を補っていき、
15分過ぎから反攻を開始。
時間とともにサイド攻撃を繰り出す場面が増え、そして、56分のゴールが生まれることに。
終盤、昇格のためには勝利しか許されないC大阪は猛攻を仕掛けてきたが、
1人1人が体を張った守備でゴールを死守。
虎の子の1点を守りきって、水戸が勝利をおさめることとなった。


水戸を支えていたものは一つの大きなモチベーションであった。
試合前のミーティングで前田監督は選手たちに「俺に勝利をプレゼントしてくれ」と頼んだという。
今週になって報じられた「前田監督退任濃厚」の情報。それが現場にもたらしたものは小さくない。
「会社は今季から3年計画でやると言ってたし、社長が替わっても何も言われなかった。
はっきり言って納得いかない」とある主力選手は吐き捨てた。
そうした個々の怒りと前田監督に対する熱い気持ちがプレーに表れたのである。
「前田監督のためにも絶対に勝ちたかった」。
すべての選手が同じことを口にし、それが表れたのがゴール後のシーンだったのだ。


前田監督のこれまでの功績はここで語る必要はないだろう。
今年は常に最下位に低迷していたが、今季を変革の年と位置づけ、クラブ一丸となって
アクションサッカーにトライしてきた。
結果こそついてこなかったが、昨季までの「ごまかしの」(前田監督)カウンターサッカーとは違い、
相手と真正面でぶつかることでチームは日々成長してきたし、
足りないものも明確に見えるようになってきた。
最下位に沈み続けてきたものの、決してそれは恥ずべきことではない。
トライしたからこそ得た結果ということを忘れてはいけない。
月並みな言い方だが、ジャンプをする時には必ず足を曲げなくてはいけない。
それが今年だったのではないだろうか。
飛躍のための1年。
選手たちもそれを信じて前田監督についてきたのである。
でなければ、最下位(この試合で勝って12位浮上)という現状で
あれだけの選手が監督のところへ抱きつきにはいかないだろう。


最下位に低迷し続けたということは決して現場だけの責任ではない。
この順位というのは水戸ホーリーホックというクラブの順位であると考えた方がいいだろう。
観客動員でも最下位、運営資金でも最下位など様々な点において
他クラブよりも劣ったことがこの現状を生むこととなったことは間違いない。
何か一つの責任ではなく、クラブすべてにつきつけられた
現状だということを1人1人が謙虚に受け止めなければならない。


今週起きた「監督人事問題」もクラブの未成熟な部分を露呈したと言えるだろう。
現場の責任を背負う強化部を飛び越して人事が進められており、
果たしてどのように監督の去就が決まり、どの基準で監督が決まるのかがまったくの不透明のまま。
いまだにフロント内で話し合いは行われておらず、
具体的な手順として宮田裕司社長は「最終的に私の判断」と言い張るだけであった。
このままでは来季に向けての選手選考など準備が遅れることは容易に予想がつくことである。
そして、宮田社長はこの日の勝利について「年間の試合の中の1試合に過ぎない」、
この日のサポーターの訴えについても「この間もらった署名と同じ内容でしょ」と応えるだけであった。


水戸は「市民クラブ」を謳っている。
しかし、果たして「市民クラブ」とは何か。そこに形態的な定義はない。
親企業があっても、大株主がいても市民のために存在しているクラブならば「市民クラブ」と言えるだろう。
ただ、これだけは断言できるのではないだろうか。
クラブの意思決定に対する決定権を特定の人間や組織が握らないということ。
すべての意思決定は公正なる合議の上で決められ、1人でも多くの人が納得する形を採るということである。
そうした判断の是非を「市民」が厳しく審査することこそ、「市民クラブ」なのである。
試合後のセレモニーで会場からわれんばかりの「前田コール」が巻き起きた。
これを「市民クラブ」としてどう受け取るか。
あの心の訴えが胸に響かないようでは、もはや「市民クラブ」とは言えないだろう。


「市民クラブとして50年、100年と続けていくためにまい進していきます」
と試合後のセレモニーで宮田社長は高らかと語ったが、すでに傾きかかっているのが現状だ。
今、水戸ホーリーホックは「市民クラブ」としての危機を迎えている。
独断や密室での決定は、「市民クラブ」において断じて許されるものではない。


「フットボール定食」に掲載されていたものが削除されていたので、サルベージの意味も込めまして全文掲載いたします。実際に掲載されたものはこちらのレポートとなります。