つぶやきば@はてなブログ(跡地)

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「スポーツはレベルの低い愚民から金銭を巻き上げる搾取システムである」ことへ反証を試みてみる

「搾取システム」に関してはその通りとしか言えないところが大きいのですが、スポーツを享受する人間が愚民であるかどうかには反証できそうです。


トッテナム在籍中、イギリスとアルゼンチンの間でフォークランド紛争が起こったが、この時トッテナムファンから「オジーが残ってくれるなら、フォークランドはアルゼンチンにくれてやる」といった意味の横断幕が出たこともある

オズワルド・アルディレスWikipedia



イングランドにとってフォークランド諸島が戦略的に最重要地点であったのなら、この横断幕を出したスパーズファンは程度が低いということの証明であるわけですが。

さて、スポーツを享受している者には様々な位相が存在しますから、全員が全員「感動と興奮」のためだけにスポーツを見ているわけではありません(第一筋書きがないのですから、コストパフォーマンスが悪すぎます)。その一方で「3S政策」という言葉も存在するように、権力者側が自らの地位を守るためにスポーツを利用して目くらましを行う、という構図は存在します。ナチスドイツの例を引き合いに出すまでもなく、前イタリア首相がACミランのオーナーであったこと、1978年ワールドカップが軍国主義時代のアルゼンチンで開催されたこと等、きりがありません。ですが、スポーツの舞台から権力者側にカウンターパンチをあびせることも往々として存在します。メキシコオリンピックでの黒手袋であるとか、コソボ空爆の際ドラガン・ストイコビッチがユニフォームを脱いでアピールした「NATO STOP STRIKES」であるとか。そういうメッセージを受け取ることで、ただの試合やセレモニーが世界とリンクするのです。またサッカー日本代表監督は盛んに「考えろ」とアピールしています。これは愚民化推奨システムとは正反対の主張です。それで協会も手を焼いているわけですがw
かつてユーゴ内戦が起こった際、単純な「善」と「悪」という型にはめて物事を見ていたのですが、そういう見方が変わったのは木村元彦というノンフィクションライターとの出会いがあったからです。彼と私を結びつけたのはスポーツの存在があってこそ。スポーツを享受することで、視野を広げ物事を多角的に考えることは可能なのです。